
靴職人になるために家を出たのは、父親から逃げ出すためだったと告白した。
  米国、その後イタリアに渡り靴作りを修業。帰国した今では1年先までオーダーを持つという優一氏。父親が祖父(先代貴乃花)と同じ相撲の世界に進んだように、 
 自身も相撲の道に進むことを考えなかったかと問われると、体が大きくなかったことを挙げつつ「一番(の理由)は、小さい頃の憧れが父だけだった。 
 憧れすぎると同じ世界に入ってもそれ以上有名になるとは思えなかった」と告白。さらに決定的な理由を明かした。 
  実家の部屋には、中学を卒業した15歳の新弟子が毎年入ってくる。親方は「息子が出来てもないのに、弟子に叱れるワケがない」と思ったようで、 
 小学6年までは怒られるのが年に1~2度だったものがいきなり豹変。「卒業式の夜に『明日からお前が調子にのったら引きずり回すから』と言われ、 
 次の日ただいまと帰ったら『何だそのただいまは!』。学校での様子を普通と答えたら『普通って何だよお前!』。これ以上居たら俺死ぬと思って、 
 早くモノになってこの地獄から抜け出さなきゃと思いました。強くならないとと(思って)逃げました」。中学を卒業した15歳の時に米国に飛び出したと語った。 
  その関係は帰国後も続いたそうで、ねぎらいの言葉どころか「おまえナメんなよ」。父親の靴を作るため採寸しようとすると「採寸しないと作れないのかと言われ、 
 寝ているときにそおっと(採寸しました)」。唯一、認めてくれたのはイタリアの師匠と会ってくれた時のことで、「『遊んでいたわけじゃねえんだな』と、 
 自分で師匠を見つけたことがすごく嬉しかったようでした」と語った。 
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170731-OHT1T50207.html


